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7回目:喫茶店
前略イエデ人様、やあ、こんにちは、実に久しぶりにイエデ式・文字ラジオを再開いたします。こういったふざけたことをすると、私のふざけ癖が再燃して危ないですから、ふざけ過ぎないようにじゅうぶん手綱をひきしめてまいります。
帰り際、家出空間に寄り、初めてイエデラジオ(でしたっけ?)を見たのですが、これがおもしろくて!!笑っちゃいましたね〜。帰路はにっこり、幸せをわけていただきました。
く・・・ッ、こんな御便りをいただきましたら再開せぬことには男子たるものの名折れと申せましょうとも。
さて、現実逃避してしまったら頭がぐちゃぐちゃになって無知になるうぅぅぅーーーーッ、そんな厳しげな事実ばかり述べている私ですけれども、ここでは少し甘いことも申しましょう。
逃避はしなくて済むならゼロでいい。でも、崩れちゃいそうなとき、いったん出直すためにどうしても逃避するなら、軽やかで害の少ない逃避がいいですよ、ね。
だったら君、喫茶店にでもまいりましょーう。
ちょっと日々の雑事から切り離されて、空回りをストップできる空間。流れをプツンって切断。お茶だけ頼んでおけば、ほうっておいてもらえる空間。そしてほどほどに、やるべきことを持ち込むこともできるのです。本日も午前中、『仏教交際読本(仮)』という本格派新著のイラストレーション作業をするために喫茶店にいました。
先日は経堂にある喫茶店、カフェ「
クーラ」を紹介しましたね。その隣にある文房具屋「ハルカゼ舎」とともに素敵な喫茶店です。近所の御方は、自転車で夏風を切って、向かわれるのがお勧めです。
ではここで、視聴者からの御便りを紹介いたしましょう。
駅からキャンパスが遠かったので夏場は途中にある喫茶店(レモン樹)にて休憩していたのを思い出しました。
ウエイトレスの女性に恋し、学問そっちのけで、行きも帰りも立ち寄るはめに・・・。悶々とした日々を過ごしました。
数ヵ月後、既婚者と判明し撃沈。その後向かいの軽食喫茶(キッチンぷちトマト)にて休憩せざるを得なく。こんな思い出に耽るのは、煩悩の一つでしょうか。
あっは、いやはや。なるほどたしかに甘酸っぱい感傷的思い出、それにぬるぬる溺れれば煩悩。細い目して眺めれば学習材料ともなりましょう。「撃沈」してしまっただけのことで、好きな喫茶店に行けなくなるほど心は自動的に恥ずかしがるって、不思議な仕組みですよね。そうして、行ける世界の地図が狭くなるうぅぅぅーーーッ。そういう反応パターンなのだなあ、不自由ッ、不自由ッ、と興味深く点検してしまいましょーう。
そんな甘酸っぱい貴方には、ガロ「
学生街の喫茶店」を。
私も学生のころ、「あのタヌキっぽい顔の店員が素敵なんだよね」とか寝言を述べながら通っていましたもの。それにしても「働いてる姿のみを見て好きになると、良いところしか見せていないから実物よりも200%増しで見てしまい後でがっかりする。ゆえに普段着の姿ともつきあってから交際をはじめるがよし」と、
外見や表面的雰囲気が好きなだけですから、もしもお付き合いすることが叶いましたら、それこそ厄災かもしれません。
撃沈したおかげで「あの人はきっと素晴らしい女性に違いないし、二人の相性はもしかして最高なのでは」という幻想は維持されることでしょう。もしも付き合っていたら「なーんだ、二人はぜんぜん噛み合ないや」とがっかりしていたかもしれませんから、ね。がっびーッッん。
いやはや、話を「逃避」に戻しますと、まだ第二期イエデカフェが世田谷駅のイエデビルにて営業中だったころに書かれた文章を発掘いたしました。それは、仏道式4コマ第183回目。
私などは、もしのもしイエデカフェも何もかも失敗して困り果て、帰るところも助けてくれる人もいなくなっても、最終的にはミャンマーの仏教寺院(修行道場)にでも転がり込んじゃえばいいやー、なんて思っています。
ゆえに色んなことをするにあたってスコブル気楽、かつ楽しく動き回れるというのがあります。
というのはミャンマーのお寺、いつでも誰でもほぼ無条件に受け入れてもらえる上に金銭も不要、真面目に修行を続けている限りいつまで居ても良いなんて最高ではありませぬか。
日本のお寺と大違い。寺院の運営資金や食事は、在家のかたがたの熱心な御布施に拠るようですよ。
ミャンマーで出家とまでは行かないまでも、何かしら「逃避先」のようなものがあるのは気分を軽くしてくれるでせう。学生時代の私にとって、それはさびれた喫茶店やカフェでありましたゆえに、当時の想いが今こうしてイエデカフェという形を以て、再結晶させているのかとも見ゆ。
それはあくまで可能性の問題。実際に今すぐ逃避するわけではなくって、「いざとなったら」逃避もできる、と思っておくことで心持ちが楽になるということなのです。
イエデの可能性。その可能性を心の片隅に持っているだけで、心の地図は広がるはずなのさ。
懐かしい文章です。ともかく「イエデの可能性」を書き込む心の地図は、広くもっておきたいものですよ、ね。
その地図が汚れた心で歪んでなければ、
どこまでも行けるよね。
こんばんは。私の好きな喫茶店を紹介させて頂きます。
黒磯にある「
1988 CAFE SHOZO」です。
お店の空気感、静けさ、素朴だけれどオシャレで端正、店内が暗いのも落ち着けて気に入っています。
食器の象のマークも好きです。私は象好きなのです。関係ありませんが、キャラクターのように象を描きたいのですが、うまくいきません。龍之介さんの描く象はどんなだろう????是非、見てみたいですねぇ。
その喫茶店は名前のみ存じ上げております。以前、イエデカフェの常連さんだった御方が教えてくださいました。
たしか「子供はおとなしく、大人は良い子に」といったニュアンスの注意書きがあると教えてもらってニッコリしたような、微かな記憶がありますよ。
象のマークなのですか。象といえば、少しばから哀愁のある優しげな瞳がチャームポイントですよね。
象は、「象編集長」というキャラクターとして仏道式4コマに登場させましたので、そちらを参照してください。
コーヒーが飲めないそうですが、それは味がお好みじゃないからですか?それとも仏道的に刺激物だから摂らないようにしているのですか?
ん・んー。味は、たっぷり甘くしさえすれば嫌いではありません。ただし仏道的にと申しますよりも、コーヒーを飲みますとこめかみがビリビリと痛んで胃がシクシクしますから、身体を防衛するために飲まないだけです。
なにはともあれ、今回はこのあたりで、グッバイ、グッドラック。
次回は「慢」の煩悩をテーマに、お送りいたします。それにまつわるユーモラスな失敗談や愉快なエピソードなどを、お寄せくださいね。
我がまま申しますなら、短めにまとめてもらえると、掲載しやすく素敵です。
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6回目:お金
前略イエデ人様、こんにちは、ひさしぶりにイエデラジオの時間ですよ。音楽は森田童子で「
みんな夢でありました」をお届けいたします。
東北イエデセッションを終えて帰って参り、ポストを開けてみましたら、電気代の請求書が入っていました。931円。しばらくぶりに千円を切ることに成功しにけり、にこにこ。
何故、私の電気代がかくも低価格なのかと申しますなら、電気を使う製品は冷蔵庫とオーヴンと、PCとPHS、電気シェーバー、それから電灯くらいしか持っていませんから、ほとんど使わないのです。
さて、このようなことをする際に大切でありますのは「節約しなくっちゃ」といったような気持ちに駆られてやってしまってはならない、ということです。そのような気持ちに駆られますなら、心はケチケチした、貧乏臭い状態へと固まってしまうことでしょう。
「お金を節約したくてたまらないよーッ」となってしまったり、安売りのものを買い漁って喜ぶのでは、結局はお金に支配されている点では変わりがないでせーう。そうではなく、必要なものを買うときには、最良のものを買って、永く大切に使いたいものです・・・金に糸目をつけるんじゃねぇええェェェーッ!
ともあれ、「お金を増やしたい」といったような心持ちでいるのではなく、「できるだけお金に支配されずに生きていたい」という心持ちでいることがかないますなら、そのような生活は、お金にあまり頼らない生活、と申すことができるのではないでしょうか。そこあるのは、誇り・・・ッ!
みじめになる・・・ッ! お金に心を刺激され、操られアンハッピーになる・・・ッ! 私たちは、お金を使えば使いますほどに、わけのわからない欲望のとりこになってしまい、結局のところ部屋の中に物ばかりあふれてちっともハッピーにはなれやしないのです。そのうえ、そのようなことを繰り返しますほどに、その背景では「お金がなければ何もできない人」へと変化してゆきますから、創意工夫をする能力や、いざお金がなくなったときに生き延びてゆく力を喪失してゆくのではないでしょうか。
ですから、お金から自由になろうとする理由は、自らの中に誇りを回復することとでも、申せましょうか。
一冊目の拙著名をもじりますなら「お金から自由になる清貧入門」。さて、ここでイエデ人様からの御便りを一通、紹介いたします。
イエデラジオ大好きです。初めて拝見したとき斬新だなぁとドキドキして一気にファンになりました。今回お金がテーマとのことで、日ごろから感じてることを初投稿させていただきます。
お金は極力使いたくないです。だから一つの物を買うときに、これから応用が利く品かどうかをアレコレと考え過ぎて…疲れてしまいます。これって欲ばりなんでしょうか?迷いやケチの煩悩が回転してるんでしょうか?
かといって、即決して「衝動買い」みたいなのは控えたいんです。これもやはり集中力を養えば、自分に必要なものがわかるんでしょうか?
お店にいるリアルな今を感じず、妄想の世界に入ってしまいます。
お買い物楽しみたいし、お金の使い方って難しいです。何か良い方法があればお教え願います。
むー、ええ、買い物は、煩悩思考にとらわれてしまうと、とても疲れてしまうものです。
「何着も持たなくて済むように応用が利くように」という観点一つにしぼって、本当に選べていますでしょうか。
嘘ッ! 嘘ッ! 観点がしぼられていればパッと判断できて、疲れないはずですもの。実際は、それ以外のポイントも心の中にいろいろ割り込ませてしまうせいで、疲れるのではないでしょうか。
ポイントを一つだけにしぼって、迷い出して考えすぎている御自身に気づかれたときには「これ以上考えると疲れるから今回は止めておきませーう」と、さっと素早く退却しては如何。
ポイントを絞るにあたって、安いか高いかという観点は無視してしまえば、選びやすくなるでしょう。もしも高い買い物をしてしまったら、それを大切に着回して、次に買うまでしばらくお休みすれば辻褄はあいますから、ね。
私は読書が大好きです。本をもっと買いたいけれど、部屋も小さいく、本のお金の予算もないので本が増やせません。
そこで図書館を自分の図書室にいたします。
なんと素敵なことでしょう。
どんな読みたい本もみんな自分のものです。
何千冊の本が自分のものです。
たまたま、読みたい本がすぐに手に入らないときは、
「そうだ。この本は友人に貸したんだ。そろそろ返してね。って連絡しよう。」
と考え、返還の催促の変わりに、本の予約のメールをいれます。
すると、本は帰ってまいります。(予約したので借りられます)
私は木が大好きです。桜・さるすべり・紅葉・松・・・
みんな自分の木にしたいです。
でも、私には庭がありません。
そこで、新宿御苑(新宿になる大きな庭園です)を自分の庭にいたします。
桜も楓も何千本の木も・・・池も小さな東屋もみんな私のものです。
春は桜が美しく、夏はさるすべりがかわいらしく、
秋には紅葉がはらはらと、ふゆには松に雪が積もり・・・・
こんなきれいな私の庭ですもの、ご近隣や遠方から来た方々にもお見せしましょう。なので、しらない人が新宿御苑にはいらっしゃるのです。
入場料は管理をしてくれている人へのささやかなお礼です。
私は数千冊の蔵書と美しい庭を持っております。美しい庭で読みたい本を読めるのは至福の喜びです。ご招待いたします。おいでくださいませ。
余談ですが、沈黙入門を拝読させていただいてから、会話もですが、メールも短くなりました。(拝読前の私ならばこの5倍の文章量です。)いかに愚痴を書いていたのでしょう・・・・
反省しております。では、またお会いしましょう・・・・
大量の図書館と新宿御苑を保有されている 風雅な大富豪からの、御便りでした。
せっかくのご招待をいただいたわけですから、積極的に図書館や御苑へと遊びにいかせてもらいましょーう。
ご住職様、ユーモアのきいたイエデラジオ、いつも楽しく読ませていただいております。今回お題は愉快な貧乏との事で、ちょっと思いあたる所があり、投稿させていただまきす。
小さな頃から、うちが周囲の家と比べてお金がない家であるのが恥ずかしくてたまりませんでした。学生の頃には、「貧乏だから都市の大学にいかせてもらえないんだね」と両親をなじった事もあり、「貧乏」である事が劣等感の一つでした。
しかし、成人をすぎ、世にでた時、自分の送ってきた生活は、世にいう「貧乏ではなかったんだと気づきました。お腹いっぱい食べ、眠り、教育を受けられた、その事が十分すぎる程豊かな事だったと気づいたのです。
すると、長年のお金がない事への劣等感は消え、その頃の事が面白い体験として思いだされました。だって、一切れの肉でご飯を三膳もたべたり、友達の家に行ってお菓子をギラギラした顔で平らげたり、うさぎの真似をして草をたべたり…。それがおかしいとも思わず、喜んでしていたあたりが、とても滑稽に感じられたのです。
また、仏教に触れてからは、物を持っている人や新しい物を欲しがる人が、苦しそうなのに気づき、自分が比較的質素な生活に慣れている事に感謝しました。むしろ、「貧乏」で、ラッキー!」です。
そう、一回「貧乏」を体験しておくと、その後、お金を手に入れようと手に入れまいと、しなやかに生きてゆける気がします。
ん・んーッ、しかしながら、貧乏に対する劣等感を強く持ち過ぎたままだと、お金持ちになってから急に成金趣味になってしまったりもしかねないわけですから、一概には申せますまいか。
ポイントは、せっかくの貧乏経験をお金から自由になるための手習いとして吸収できるか否か、です、ね。
イエデラジオ貧乏入門、楽しみです。仏道してると、貧乏だろうが金持ちだろうがお構いなしに、愉快に生きられるのだろうな、と、考えるばかりで投稿ネタが浮かびません。残念です。
ところで、どうして小池住職のにんじんのぬか漬けはおいしいのでしょうか。うちのぬか床ではあのような風味になりません。なんだかぶよっとしてしまいます。ヒケツがありますか?
...っと、心のコントロール力不足にて、ラジオ投稿から脱線してしまいました。
出直します。
御慧眼にて、仏道生活は、お金があってもハッピー、なくてもハッピー。そして、あっは、昔ながらの清く貧しい生活には、ぬか床はお似合いでもありますし、脱線におつきあいいたしませーう。あのぬか床には、数年来にわたってぬかと唐辛子と自然海塩のみで作り毎日手入れをし続けているがゆえの、多数の微生物が息づいているからではないでしょうか。
しばしば、ぬか床を美味しくしようとして余計なものを大量に入れるということがみられますけれども、それは結果としてはぬかどこを損なってしまうように思われるのです。
そして化学肥料で太らされた人参は細胞一つ一つが不必要に水分を含んでいますから水が抜けるとぶよぶよするのかもしれません。
皆様もくれぐれも、お金という名の化学肥料にぶくぶく太らされることのなきように、と申し上げまして、今回はグッバイ、グッドラック。
おしまいの音楽も森田童子で、「
ぼくと観光バスに乗ってみませんか」と参りましょう。
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5回目:偽善
前略イエデ人様、こんにちは、ひさしぶりにイエデラジオの時間ですよ。毎回やかましい音楽を皆様にお届けするのも僧として気が引けますから、今回は無音をBGMにお届け申し上げます。
さいきん、少しずつ裸足で出歩くのが寒くなって参りました。時として路上で坐禅をしていたりすることがあるのですけれども、裸足で座っているのが面白いのか、道行く人に話しかけられることがあります。
先日のこと。私が持っていた「
おやゆびトム」というノンシュガークッキーを指差して「それをくれませんか」と仰せになりますので差し上げましたら、喜んで去っていく男性がいたかと思いますと、すぐその数分後には「あのう・・・お坊様にこのようにお金を渡しても良いものなのでしょうか」と、おずおずと500円硬貨を私の手のひらにのせてくださる女性が現れ、私は「おやまあ」と思いつつ祝福の偈をとなえます。
私が「おやゆびトム」を差し上げる気持ちはいいかげんな気持ちに過ぎませんし、500円硬貨をたまわった御方の感情も100%純粋な布施行為というわけにも参りませんでしょうし、彼女へ祝福の偈をとなえる私にも若干の気取りは混じらざるをえません。
愚か者ッ、愚か者ッ、愚かものォォォーッ。かつらを被って何の役に立つことか。かもしかの皮をまとって何の役に立つことか。きみは内側に汚れのジャングルを育てて、外側だけを飾り立てている。(『自説経』三十三章六番)
がッびーん。このお釈迦様の言葉は胸に留めておきつつも、綺麗さを完成させるまでの過程は「ちょっと汚れた綺麗さ」を使いながら少しづつ成長してゆくしかないのもまた、事実なのですから、
ほどほどに開きなおって参りましょう。
さて、今回は新刊『偽善入門』について読者の御方から寄せられている読書感想文を公開だッ。まずは最初の御便り。
「偽善入門」発売おめでとうございます。購読し、あっという間に読んでしまいました。私自身長らく患っていた善・偽善の内なる疑問は家出空間に長らく滞在し、ご住職に直接触れる事により、かなり瓦解しておりましたが、それを系統立て、理として身に付ける事ができたように思います。
例えるなら、家を建て直すのに、とにかく手作業でガンガン壊して随分壊した最中に、重機でダメ押しした感じでしょうか。
しっかりとした土台が作れそうです。(御住職の過去には大変驚きましたが、御住職に出会い変化して行く自らを振り返ると納得も強く致しました)
おやおや、精神的な破壊屋さんを務めさせていただくことになったようですね、乱暴を失礼いたしました。責任をもって再建築や、インテリアデザインの御相談にも乗ることといたしましょう。
次の御便りです。
偽善入門拝読いたしました。沈黙入門から引き続き、邪悪な心のサンプルが、自分に当てはまるようなことが多くて心がひりひりしております。(ご住職の過去の振る舞いがサンプルだったとは...!)
私も「自分の心の習性を観察して」(p101)、「邪悪な反応パターンから足を洗」(p102)いたいのです。修行していない者にお勧めの、邪悪な心の棚卸しの始め方があれば、ご教示いただければ幸いです。
私って実はかなり嫌な人間だったのだ(冷汗)、ということにここ最近やっと気づきましたが、溜め込んだガソリンにどこから手をつけて良いのやら、手を拱いております。
ひりひりしていただけましたなら、狙い通りですよ。にっこり。「ひりつかない・・・ッ。この程度の賭け金じゃあ、ひりつかねえんだッ!」というような台詞が『賭博黙示録カイジ』にあったように記憶いたします。そのヒリヒリ感によって成長してくださることを祈念いたしましょう。
「生命は心に欺かれている」(『自説経』)からこそ、誰もが、自分が嫌な人間だということを見ぬフリをしている・・・ッ! ゆえに汚れたまま・・・ッ! 変われない・・・みじめ・・・ッ!
せっかく、「嫌な真実」に目を見開くことができたのですから、あとはステップアップするための実践あるのみ、です。
棚卸しの始め方といたしましては、とっかかりに戒律のうちどれか一つでも良いから御自身にあいそうなものを選んで、何が何でも守りますよといった風合いで精進してみるのは如何でしょう。
三通目に参ります。
ご住職のお若いころの体験談がとても印象的で、「頑張れば自分も変われるかもしれない」、という勇気を頂きました。
勇気とは、実はけっこうクールな言葉です。あのようなロックンロールな過去も、こうやってリサイクルすれば大いに他人様の役に立ちますことを考えますと、浮かばれるようですねえ。
最後に、番外編をご紹介申し上げておしまいといたします。
新宿タカシマヤの並びにある紀伊国屋書店の外壁には、いつもその時の流行りのミステリーやベストセラー本の宣伝用垂れ幕が何本かかかっているのですが、本日通りかかった折見上げてみましたら、そこに「偽善入門」の垂れ幕がかかって
おりました。
10mほどあると思われる垂れ幕に書かれた「偽善入門」の文字は、まさに「大いなる偽善」といった愉快な有様でしたので、ここにルルルとご報告させていただく次第です。愛読者より。
私は実物を拝見したことがないのですけれども、奇妙な字面が愉快に垂れ下がる有り様が目に浮かぶような御便りでした。このタイトルにはたっぷりの皮肉をこめているのですけれども、そんな皮肉が世の中に示されるのは愉快なことです。
それでは今日はここまで、グッバイ、グッドラック、ごきげんよう。
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4回目:鍵
前略イエデ人様、ごきげんよう。家の中に溜まりゆく生活臭たる、欲望と怒りと迷いを換気する、イエデラジヲの時間ですよ。
換気するために風通しは大切なポイントですから、エアコンディショナーなんてたまには切って、窓を開け放ってみては如何でしょうか。
先日、このウェブ空間に、鍵も窓もいつも開けっ放しで風通しは抜群です、といったようなことを記しましたら、それをご覧になった郷里の母上が心配になっちまったらしく、電話をくださいました。
「鍵かけてないって、殺されるよ、東京は物騒なんだし・・・」
ああ、心配かけて相変わらず親不孝なことですよ、と思いつつも、私は性懲りもなく応えるのでした。
「ふむー、だいじょうぶ、だいじょうぶ。『法』に従って道を歩んでいる以上は守られているから、殺されたりするはずがありませんよ。もし盗まれたりしてもたかが知れてるし、鍵をかけて心が窮屈になるのは損だから・・・なあ」
それを聞いて呆れた母上から聞かせてもらいましたところによると、父住職はといえば「殺されても別に良いと思えているのなら、殺されても平気だから何の問題もない」という素晴らしい御意見を述べられていたそうです。流石。
・・・というやり取りがありました翌日のこと、月読寺の隣人たるガラス屋さんに呼び止められたのでした。
「あのさ、せめて窓くらい閉めないと不用心だよ」
私は微笑以て応えるのです。
「ええ、盗まれるものも特にないんですけれどもね」
「いやいやいやいや、最近じゃ仏像を盗られるなんて話もよく聞くしね、気をつけたほうが良いよ」
「なるほど、確かにそれは気をつけないと。有り難うございます」
月読寺の小さな仏像は、私が大いに御世話になったスリランカのお坊様から頂戴したもので、確かに盗まれるのは残念な気もしてきました。
ええ、少し、気をつけます。ご近所を心配させないように、窓くらいは閉めてから出かけるようにしましょうか。鍵も・・・鍵は・・・閉めません。な、なんだってー。言うこと聞けなくて、ご、ごめんよーう。
さて今日の最初の御便りを紹介申し上げます。
クッキーだけ欲しいです。っていうのでは、応募者として失格でしょうか?クッキー食べたいです。
ブッブー、残念、失格ですッ! 「おまけとして」しか得られないものが、世の中にはたくさんあるのです。
無理に「さあ今からこの人に恋しよう」としても恋愛はできませんよね。恋愛はあくまでも純粋な交友関係の結果として「おまけ」のようにして得られるものたるべしッ。
そのおまけについて、capsuleの"
music controller"などをお届けいたしましょう。「恋の病に気付いたのならそういう時にカプセルがある」と歌われておりますように、副作用として、それは、ふと「気付く」ようなものなのです。
あるいはたとえば、坐禅をすると「おまけ」として身体が治ったり痩せたり、頭の回転が早くなったり集中力がついたりいたしますが、「頭をよくしたいッ!」という欲望で禅をいたしますと、禅は必ずや失敗するのです。
そういった欲望が入り口でも構わないのですけれども、ひとまず欲望はカッコに入れて禅に打ち込んで心の業を組み替えられたとき、「おまけ」としてそれらは手に入るッ!
クッキーだけ欲しい! と思わず、手拭に打ち込んだときにクッキーがおまけとしてついて・・・くる・・・の・・・か?よく分かりません。
次の御便りです。
今日、とても久しぶりに龍之介さんを見かけました。とあるところ、にて見かけたときは驚きましたが、にっこりとした笑顔に和みました。自分はちょっと疲れた顔をしていて、こちらの表情が見えていないので少しほっとします。
ずぎゃーん、ドキドキ。どなたかは存じ上げませんけれども、「久しぶりに」ということは以前にも何処かで目撃されていたのでしょうか。
その日は来客を駅まで送ってゆくついでに浄水器のフィルターと人参ジュースを買うという、すこぶる世俗的な目的で経堂駅へ出かけたように記憶いたしますが、まさか人参ジュースを路上で飲む、みっともない姿を見られたのでなかろうかッ! がっびーん。(慢の苦受!慢の苦受!慢の苦受!)
この出来事は、いつどこで誰に見られても絶対に恥ずかしくないように、独りでいるときこそ自らを律していることの必要を物語って、みた。
本音と建前を一致させるよう日頃から努力しておきさえすれば、プライヴェートを人様に見られましても安心ッ、安心ッ。にこやかに笑えるのです。
そのためにも、日常生活の中でこそ自らの感情に「念」のセンサーを張り巡らせつつ、欲や怒りをチェックしておきたいものです。
「ちょっと疲れた顔をしていて、こちらの表情が見えていないので少しほっとします」とのこと。是非ともいつ誰に見られても自信が持てますように、日頃から心を素直に調律しておきませーう。
そんな貴女に、人に見られたくない、私たちの本性を描いた名曲をお届けいたします。映像が少し怖いので要注意。
ハニーナイツで『
妖怪人間ベム』。
私は中学生のとき、この古くさいアニメーションを再放送で見ていたものでした。当時周囲でこれを見ているのは私と親友のたった二人だけでありまして、二人で「人に姿を見せられぬ、獣のようなこの身体・・・ッ、早く人間になりたーい」とよく合唱していたのが懐かしく思い出されます。
そんな親友はいま、山口県の市役所で公園整備をする愉快な公務員となっており、親方日の丸の安定した人生を送っています。
さて、次の御便りです。
第1便で、自分の勉強のために『「自分」から自由になる沈黙門』を平常文へ翻訳中と、勝手にお伝えしました。今日、その第1回版がひとまずの完成を見ました。
第一便とはどのようなものであったかと、過去の御便りを探してみますと、以下のような御便りが見つかりました。
このご著書の言葉使いについてです。なにか特別の意図をお持ちでのこととは思いますが、私にはどうもなじめないのです。実のところ今、もっと中身に近づこうと、不可能とは思いつつも自分の言葉に翻訳しつつあるところです。
文体についていろいろ理由はありましたにしろ、結局のところは我がまま放題の、小生意気な文体で皆様にご迷惑を御掛けして、ス・・・ッ、スイマセンデシターッ! 次回以降は繰り返しません(多分)から、許して・・・ッ、許してくださいィィィー。
私たちのような我がままな生き物は、ほどほどにその我がままさを縛り付けてあげる必要があるのです。そう、時には天皇陛下のように、ロボットのように忠実に、的確に、仕事をこなすことも重要でありましょう。
そういうわけで今回のエンディングテーマには、kraftwerkで"
the robots"をどうぞ。古典的名曲は、映像を見て笑える素晴らしい仕上がりです。
では、次回までごきげんよう、グッバイ、グッドラック。
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三回目:モラル
前略イエデ人様、こんにちは。本日のオープニング楽曲はcapsule「
東京喫茶」など如何でしょうか。ぼくらの中に巣食った生活臭をやっつけるための方策の一つ、それはたとえば、爽やかな服装をととのえてさ、自転車に飛び乗って「喫茶店」にイエデしにゆくことではないでしょうか。
再開してから三回目となる今回のテーマは、モラル。うわーあ、何やらつまらなさそうですか? 気のせい気のせい、それは幻覚ですよ。まずは、最初のお便りを紹介します。
ジョジョがお好きなんですね。とてもうれしいです。そこに痺れるッ!憧れるゥッ!!
これがお便りの全文、前略も後略もする必要まったく無しという、すこぶるシンプルなお便りでした。こういう気楽なメッセージに憧れるゥーッ!
分からない御方のために説明しておきますと「この田吾作がぁーッ」とか「とんちきがー」といった罵声をはじめ、「無駄無駄無駄無駄ぁぁーッ」だとか「そこに痺れるッ、憧れるゥーッ!」といった名台詞の数々は、『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画から引用されております。
このように、どこから引用したかを示しますことも、現代社会のモラルの一つと申せますでしょう。ということは、今まで引用元を明らかにしていませんでしたことは、モラルに反していたと申すこともできるかもしれません。すいませんでした、荒木飛呂彦先生。
私がモラルからはみ出た外道であることが明らかになったところで、な、なんと、iede radio初のリクエスト曲です。
一つだけ残念なのは私の携帯電話では1分半までの動画しか見られないため、いまだ家出ラジオ1回目のかわいいあの曲しかきけていない事です。ほかは題名だけかみしめています。そこでリクエストは「1分半以内できける愉快な曲」です。
かしこまりました、1分半以内・・・んー、その短さだとすぐには思いつきませんね、むーう。といくらかあたってみました。あ、あれなら短いですし愉快ですし題名にも"fun"=「愉快」という言葉が入っていますよ。psappで、楽曲は"
about fun"と参りましょう。
昨日イエデラジオに「1分半以内の愉快な曲」とリクエストした者です。ついさっき気づいたのですが、1分半ではなく、2分半の誤りでした…涙。
な、なんだってーッ! だいじょうぶ、涙をふいてそれではそろそろ、本題に入って参ります。九州にお住まいのイエデ人様より、このようなお便りを頂戴しました。
「道」や「法」をわかりやすく説いてくださるので、それを心において生活するようにして、自分が少しずつ変化してきたのを感じます。
自分の中に怒りや欲がわいたときに「気がつく」ことができるようになり、コントロールは不十分でも、苦しむことは減りました。感謝しています。
料理のアク掬いが少し上手になってきたようですね。欲や怒りが溜まると、心の中には生活臭が溜まるッ・・・、みすぼらしくなる・・・ッ! そいつをアク掬いして掃除する能力が身に付くことこそ、モラルの基礎・・・ッ!
それが私たちに、自分や他人に穏やか優しくできるための足場を与えてくれるのです。
さて、このように、良い行いをするためには、それ以前にそもそも、欲や怒りが少なめの気品あふるる心が必要なのです。
それに関わって前回の坐禅会の終わった後、ある参禅者の御方から帰り際に問いかけをいただきました。
良いことをすると自分が得をするからっていう欲の気持ちで良いことをしても良いのでしょうか。
モラルにかなった良いことをすることで3歩前に進んで、でも自分が得をするからっていう気持ちのせいで1歩下がることになるでしょうけれどもね。総合的にみると2歩ほど前に進むことになりますので、全然OK。
だって、何の得もないのに良いことをするって、どう考えても無理がある気がいたしませんか。そういう無理のあることを言う人に限って、極端に走って他人様に迷惑をかける傾向があるような気がすらいたします。
まずは恥ずかしがらずに、善人ぶりっこしてみるところから始めてみれば良いのです。やってるうちに、だんだん心が良い方向に変化していって、純度が高まって参りますから。
ただし、んー、残念! 問題は、「さー、明日から道徳的になっちゃうぞ!」と思ってみたところで、人の心はわがままに出来ていますので、そう簡単になれるものではないのです。
「欲や怒りはよくないから止めようよ、他人に優しくしようよ」と綺麗事で言うだけなら、世の中の言論人や宗教家が言っているのですけれども、ただし頭でだけ分かったつもりになってるだけに余計にタチが悪く、そう仰せになっている御自身が、普通では考えられぬような異常な欲望や怒りを爆発させることが、しばしば起こっているように思うのです。
こういった場合、その御方たちにとって、「優しくしよう」だの「愛だよ愛」などというメッセージは、単に商売道具でしかなかったということなのです。幻滅したッ! モラルを商売道具にする音楽作品や言論人に幻滅したッ!
ここで「本当の愛なんて歌の中だけよ」(がーん)という歌詞の入った楽曲をどうぞ。france gallが彼女自身の名曲"poupee de cire poupee de son"を「
夢見るシャンソン人形」という題名で、つたない日本語で歌っているのをお聞きいただきましょう。
「シャンソンにんぎょう」の発音が「シャンソンにんぎおう」という感じになっているのに、にっこりできるかもしれませんね。
「ナルホドーふむふむ、求めたり怒ったりするのはよくないから止めよっかな」と軽く思ってみても、欲望も怒りも麻薬みたいなものにて、そう簡単には止められない。止めるためにはテクニックのお稽古が必要だから。このお稽古の部分こそが道、仏道。
注意力(念力)や集中力(定力)、それらを基礎にして心をコントロールするための智慧を身につけましたらはじめて、自分の思い通りに心を変化させれるようになるのです。
ですからモラルと気品あふるる道を歩みますためには「念」と「定」をパワーアップさせながら、ハッピーになっちゃいませーう。
ほうら、こんなお便りもいただいています。
自分をまじまじと観察しだしたら、ショッキングな発見でいっぱいでした。なんて自分は悪い人間なんだ!と。ですが、ショックが良かったのか、自分の行動や感情が以前より客観的にみれるようになり、少し距離を置けるようになりました。
あれほど手に負えなかった怒りが、少しづつ小さくなってきました。感謝をすればするほど優しくなれるので、、、私も、おそらく周囲も以前よりはハッピーです。
ハッピー気分の楽曲はオープニングと同じくcapsuleで"
happy life generator"をどうぞ。「遠くのきみに/届けテレパシィ/キミが大好きな/ピーナッツバターをフランスパンに塗りながら願う」
では私は、誰かが好きかもしれないメープルシロップをココアパウダーに混ぜて練りながら、一切衆生が幸せたらんことをと願いましょうか。それではグッバイ、グッドラック。
iede radio
再開2回目:インド人
前略イエデ人様、こんにちは。まずはiede cafeでも時々かけていたへんてこな楽曲『
ペンギン』をかけて始めましょう。
もしくは『
最後の地球』か、どちらか気になるほうをクリックしてお読み進めください。
今日は新月"new moon"です。月の引力が弱まりますぶん、私どもの身体は地面にびっしり張り付けられる時期となっております。日頃から禅の状態を崩さずに生活しておりますと頭上はバリバリとしたエネルギーの出入りによって泡立ったような感覚が続くのですけれども、とりわけ新月や満月の頃はその度合いが強まるように思われます。ひゃー、バリバリ。
こういった月の満ち欠けやそれに伴う引力の変化は自然法則ですから、信仰の対象ではなく単なる事実です。ニュートンを開祖にした「ニュートン教」でありますとか「引力教」なんていう宗教は成り立ちませんものね。
それと同様、仏道もまた「心をこういじったらこういう結果が出る」という法則、事実を説くものなのです。心の法則、それは複雑な法則ですけれども「事実」であることは確かです、その法則をマスターして乗りこなそうとするテクニックなのですから、信仰や宗教といったようなものとは、違ったものなのです。仏道には怪しげな神も超越的な仏も、ありやしません。
ここで、愉快な質問を紹介しましょう。
お釈迦様と仏陀は、同一人物ですか。そして何処の人ですか。中国人?
同一人物です。そして惜しい! インド人です。いや、んー、生まれたのは今のネパールだから、ネパール人?
インドはお釈迦様をインド人と言い張り、ネパールはネパール人と言い張り、争っているという噂も。 ひゃー、すこぶるドウデモイイですね。 インド人でもネパール人でも、お好きなほうでお考えください。
仏教徒はそういう、歴史上に実在した偉大なインド人のことを尊敬はいたしますけれども、仏陀を信仰の対象に祭り上げるわけではありません。最終解脱まで悟りを開いた後、80歳で亡くなって今はもういない御方に対して何かを願ったところで、かなえてくれるわけでもありません。
*
さて、次のお便り。日本に現存する宗派の中では比較的、インド人お釈迦様に忠実なのは曹洞宗だよねー、と、一ヶ月に一度くらい思う私ですけれども、このたび、曹洞宗のお坊様から、嬉しいお便りをいただきました。曹洞宗と申しましたら、永平寺に代表される厳しい修行をして戒により身を律している・・・。
良い出会いに感謝です。お会いできるのを楽しみにしております。ご多分にもれず破戒僧ですが、ご承知置き下さいますように・・・。
な、なんだってーッ! いえ、まあ、まあ。自分のことは自分のこと、他人様のことは他人様のことですから。
福島県の仙林寺様より、イエデ式坐禅セッションのために坐禅堂をお貸しくださるとの、有り難い御申し出です。付属の宿泊施設も借りられるようですから、十人程度を募って坐禅セッション合宿を開こうと、思案しております。
普段の半日坐禅セッションで出来ることには限界がありますので、せっかく福島までイエデするのなら、1週間から10日間くらいに渡って徐々にステップアップを図る、本格的な坐禅リトリートを開ければ良いなと思っております。秋くらいには実現しそうなので、お楽しみに。
近日中に、福島を訪れて参りたいと思っております。私が所属宗派内で村八分にされているという旨を申し上げましたところ、彼のほうは八分どころか残りの二分すらあやういくらい仲間はずれにされている、という非常に当意即妙な御返事をたまわりまして、どんな愉快な御方に会えるのか楽しみです。
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次のお便りへ参りましょう。
サイト「家出空間」の今回の四コマを拝見し、私もある時のことを思い出しました。
以前暮らしていた地では、ベジタリアンは珍しくありませんでしたので、殆どの食べ物を扱う場所は、ベジタリアンメニューを置いていました。
ある日、友達とお店に入りメニューを見たところ、名だけで、一品一品の材料が記されてなかったため、どれがベジタリアンなのか分からず、お店の人に尋ねました。
すると、これが野菜だけのメニューだよとおしえてくれたので、どんな野菜が入っているのか更に聞くと、「チキンと、玉ねぎと。。。。。」 と。
驚きとおかしさで、まん丸になった互いの眼を友達と合わせました。とさ。相手も知っているはずという自分の傲慢さを今更感じました。いやはや。
いやはや、いやはや、あっはっは、にっこりにっこり。菜食者がレストランで原材料を尋ねるシーンは、自らの傲慢さの度合いをチェックいたしますのにとって、おあつらえ向きかもしれませんね。
こういう時、菜食者は「えー、チキンが野菜とか信じられない、馬鹿じゃないの?」とでも言いたげな感じで、醜く生意気な表情をする傾向にあるのは残念なことです。(恥ずかしながら見事に、私にも身に覚えがありますとも! ちぇっ、ちぇっ)
まさにそれゆえに菜食者のイメージが社会の中で低下してゆくので気をつけたいものですね。と申しますか、世の中の菜食者の皆様におかせられましては神経質さから解放されるためにも、ぜひとも仏道を実践してみませーう。
そんな感じで、懐かしのadvantage lucyの楽曲"
sunday pasta"にでも耳を傾けて、食べ物を笑い飛ばしちゃいますか。
*
最後は、次回坐禅セッションの説法内容についてリクエストのお便りです。
欲やカルマについて学ばせて戴くにつれ、世の中にある産業の大多数は欲を刺激し、カルマを増やすもの、と感じてしまいます。
分かり易い欲望を満たすような産業はともかく、例えば、人の生活の基盤となる衣食住に携わる職業でさえ、より欲を刺激するモノ(より良いフク、イエ、タベモノ)を他人に勧めるシゴトなのでしょうか?(私は食に関わる仕事をしております)
欲や業のシステムを理解して、それを利用しちゃるー、というのは(頭では)よくわかりましたが、それ故に自分の仕事が他人の欲を煽り、他人のカルマを増やす事によって成り立っている、という思いに捕らわれます。
それもまた、事実であるとするならば、この世は欲望が欲望を生む、なんと罪深いサイクルにより成り立っていることでしょう!!
と、わかったつもりになっちゃったりするのですが、これは欲やカルマについて間違った解釈をしていますでしょうか?
また、それもまた一側面だとするならば、それをどのように捉え、光明を持って仕事に従事するのがよろしいでしょうか?ご住職のご意見を拝聴したく。
なかなか重要な、答え甲斐のありそうな問いではありませんか。当日は「社会サービス/社会迷惑のバランスやじろべえ」といったテーマで説法申し上げましょう。
*
この"iede radio"、最大の問題は、一回更新するのに一時間くらいは優にかかるということでありまして、修行の邪魔になっているのではという疑問が噴出しております。
果たして次回もやる気になるかどうか、それはひとえにイエデ人の皆様から愉快なお便りが届くかどうかにかかっている・・・ッ! では、ごきげんよう、グッバイ、グッドラック。
iede radio
再開1回目:M
前略イエデ人様、ええ、この書き出しも実に久しぶりですね。iede radio、と申しても文字によりラジオの真似事をするだけの戯れに過ぎませんけれども、どうか御つきあい下さいませ。
夜のオープニング曲とてpiana"
winter sleep"をどうぞ。なお楽曲と映像は、すべてyou tubeへのリンクとなっております。
夏の風物詩たるM殿下が、猛威をふるっている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。M殿下というのは蚊のことですけれども、この呼び名は4年くらい前に彼らを殺生せぬようにとの敬意をこめて、モスキート殿下と呼ぶようにしたのが始まりでした。
それが去年の夏からは省略せられて、M殿下という気高き通り名が授与されました次第なのです。
ここでたまというバンドの曲「
方向音痴」を、どうぞ。夏といえば、小学生のときこの曲を畳の部屋で繰り返し聴いていたことが思い浮かびます。
さて月読寺では、入居して以来、一度も鍵をかけず開けっ放しにしておくという試みを続けているわけですけれども、今のところ泥棒は入っていません。「法」のもとで修行しカルマをコントロールして生きている以上、泥棒になど入られるはずがないのです。などと申しましたら「こしゃくな小僧め生意気な」と泥棒してやりたくなる御方もおられますでしょうか。しかしながら取るものなんて、せいぜいマッキントッシュと賽銭箱くらいでしょうし、リスクを考えると割にあいませんよ。
そういうわけですから泥棒は思いとどまり給ひて、ちょっとゴキゲンな感じの曲をどうぞ。chantal goyaの"
si tu gagnes au flipper"。可愛い。あ、いえ、可愛い、と感じて楽が発生している。楽、楽、楽。
さて昨夜は風通しをさら良くするため、窓のみならず玄関と勝手口のドアまで開け放って眠ってみたのです。すると、泥棒は入らぬかわりに、数十匹のM殿下が来襲。
午前2時にかゆさで目が覚めたとき、足先から頭までずいぶん刺されていることに気付きました。こういったとき「なんてかゆくて腹立たしいんだ、死んじゃえ!」と考えてもその不快感が悪しきカルマになるだけですので「はからずも献血の布施行になりにけり、良かった良かった」と考えると気持ちが穏やかになるのでお勧めですよ。
さて今日、一人目のイエデ人様よりのお便りです。これは、坐禅セッションの申し込みの追伸部分からです。
あの、また全然坐禅とは関係ないのですけれどちょっとだけお訊ねしたいことがありまして、、、 あの、先日、おうちの近所のお寺のお坊さまが、走ってたんです。なんていうか、ジョギング等っぽくはなくて、お急ぎのようでした。
「わー、お坊さんが走ってる。意外ー。」と思いました。月読寺のお坊さまも、運動以外で走ることはおありでしょうか。という、だから何というわけでもないお訊ねで申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
ええ、あなたのイメージを損なうようで申し訳ありませんけれども時には僧も走ります、そして私も走ります。ただし、失念して何となく走るのではなく、念をこめて思い切り走るのです。急ぐときは、焦らずただ淡々と、胸のあたりの呼吸の変化に集中しています。
焦って走るお坊さんが気になってしまうそんなあなたに、間に合わないイメージでこの曲をどうぞ。たまで「
学校に間に合わない」。な、なんだってー。
では、次のお便り。
自分濃度を薄めるのは、とても難しいですね。一日も終わりに近づくと、気が緩んで口が動いてしまいます。ここだ、と思うときに一呼吸おいていると、自分の存在を誇示したい欲求が膨れ上がることを実感します。しかし、余計なことを口にしないことに、気品はあるとも感じています。
少なくとも、一日が終わりに近づく前までは頑張ることができましたなら「やあ、昨日より5mgほど上品になりましたよ」といった具合に、自らに芽生えつつある品性を褒めてあげて、水をやりましょう。それはそれで微細な慢心なのですけれど、とりあえず続けてゆくためには便利です。
しょせん完璧じゃないし天使なんかじゃないということで、"
nous ne sommes pas des anges" france gallの古い楽曲をどうぞ。PVがすこぶる秀逸です。
おそらく観察を続けておられるなら徐々に分かってきているでしょうけれども、慢は実は、苦しいのです。その一呼吸のときすかさず「慢の苦受、慢の苦受、慢の苦受」と念を撃ち込んでしまいましょーう。
次のお便りは、坐禅セッションに感想文をくださったイエデ人様のお便り追伸部分からです。
なお、「手拭プレゼント希望」致します。なんだか、手拭が欲しいから感想文を書いたように思われるのでは? と思い、敢えて不希望にしようかと思いましたが、欲しい、という気持ちが存在するのは事実ですので、やはりここは希望とさせていただきます。
斜に構えて格好をつけるのより、素直なことのほうが、ほんとはずっと格好よいのです、よね。あるいは、こんなお便りも。
久しぶりに「イエデ辞書」に投稿いたしました。採用していただけたから嬉しいです。楽。注意書きに気づかず明記しなかったのですが、じつは私も「手拭い希望者」の一人です。そしらぬ顔?をしてみたかったけれど、ヨクボーに負けました・・・。もう遅い、ですかしら。苦。もともとクジ運には恵まれていない体質なので、期待はして・・・ません。
プレゼントの手拭ですけれども、郷里の寺院に問い合わせたらもう少し余分にもらうことができ、十名様くらいに差し上げることができそうです。当選確率は高いと思われますのでお楽しみに。
では皆様、グッドラック。エンディング曲は、jacqueline taieb で "
la fac de lettres"など聴きながら、ややクール風味に、おやすみなさい。
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