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月読寺
三日間通し稽古セッション感想文



投稿しませう良い子も悪い子も。 長期イエデセッションに参加された御方からその日のレポートや感想文を頂戴して、掲載してゆこうという試みです。




投稿用紙

電子メィルのアドレス



- - -通し稽古プログラム - - -

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一日目
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呼吸瞑想1
- 集中力のお稽古
- 観察力のお稽古
- 身体感覚のスキャン


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二日目
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呼吸瞑想2
- より高度な集中力のお稽古
- 身体内部のスキャン
- 苦/楽/ニュートラルの感覚の観察


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三日目
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呼吸瞑想3
- 苦/楽/中性の感覚の洞察
- 心の観察:煩悩をラベリング
- 心の法則の観察:無常・苦・無我


エピローグ:慈悲の瞑想

- - - 以上 - - -


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レポート/龍之介
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15人がひしめいて共に精進したお正月の三日間を終えて、再び空っぽになりひっそりとしている月読寺にて、レポートを記すことといたしましょう。参禅者の熱気によりストーヴが不要なほどに温かくもあった空間では、今や再び、ストーヴが必需品となっております。

もともとは一週間の合宿お稽古のために構築した瞑想プログラムを、このお正月の通し稽古では、三日間に圧縮しておこないました。

しかしながら、三日の間ですと、ちょっと時間が足りない感がいなめません。たとえて申しますなら、手術台にのぼっていただいて、いよいよ本格的にメスを入れはじめたところで時間切れ・・・ッ、といった風合いであります。

とは申しましても、普段の半日セッションとくらべますならば、三日間を通じて少しずつ高めてゆけますことは、はるかに多くの内容を伝えることができたように思われます。

心に騙されることなく、自らにとって本当は何が「苦」であり何が「楽」なのか。今回はそれをはっきりと見極めるお稽古をハイライトして、徹底的におこないました。

二日目に、苦/楽の観察のお稽古をはじめたあたりから、数名の参禅者は自らの中にひそんでいたネガティブなエネルギーと向かいあいはじめ、心の浄化とでも申すべきものがはじまりました。

いつものことながら面白いことに、こういった状況になり心の浄化が進みはじめますと、涙を流したり大量の発汗をしたり背中にたくさんの垢が出てきたりと、身体レベルでも解毒作用が進むものでありました。

あるいは身体が奇妙に動いたり、勝手に声が出たりすることもあります。隣の人が声を出すことに反応して「ビクッ」としている人も見受けられましたけれども、それらいちいちについて驚いていてはなりません。浄化の過程で、身体や心の緊張が解きほぐされてゆく中で、ありとあらゆる現象が起こり得るのです。

そういった人たちの格闘を横目に、特にそういったことがらが起こるわけでもない参禅者におかせられましては、ついつい自分と他人を比べてしまうということが起こりがちです。「自分は過去の記憶が浮かび上がってくるでもなく、喜悦感がわきあがってくるわけでもなく、特別な現象もなにも起こらない。うまくいっていないのではないか」と。

無駄無駄無駄無駄無駄ァァァーーッ! そのような思考は役に立たぬッ! そもそも「○○の現象が起こらなければならない」と決まっていることなど、何一つ存在いたしません。一人一人が自らの業に応じて、異なったルートを通じて瞑想を進めてゆかねばなりませんのに、他人と比較して心を汚染していては、瞑想が進まなくなってしまう・・・ッ!

また愉快でありましたのは「他の人はいろんな現象に直面されていたのに、自分には何もなかった」と仰せになられる御方に「でもあなたは顎が横にカタカタふるえたり、エネルギーの波が顔を走っていったりしたのではありませんか」と尋ねました際、きょとんとされていましたこと。「そういえば、自分にもいろいろ起きていました」と。他人をみて「ものすごく特別なことッ」と思い込んでしまいますと、自分自身に起きている「いくらか特別なこと」が、見えなくなってしまうッ。

このような比較現象は複数人数で同時にお稽古をすることのデメリットでもあるのですけれども、そうやって比較してしまう「慢の煩悩」が出てきましたら出てきましたなりに、そのネガティブな心を観察して乗り越えるトレーニングとしてしまうことだって、できましょう。そういうわけで、ぜひとも、ありとあらゆる失敗や愚かさを、学習材料に使ってしまえばよろしいのです。

三日目の午後、問答の時間は、たいへん活気のある興味深い時間となりました。誰もが、他の人たちが直面していることがらを耳にして、大いに参考にしていただくことがかなったことでしょう。そのとき印象的でしたのは中年男性による「自分って実はこんな人間だったのか・・・これからどうしていけば良いのだろう」という虚心坦懐な質問でした。

これから、高潔な人間へと変われば良いのであーッる。「こんな人間だった」ことをまざまざと知った際のショックの衝撃力を心に響かせさえすれば、心のプログラムがガーッンと、組み変わります。「過去に気持ち良いと思い込んでやっていたことは本当は苦しみになっていたなんてッ」ということを思い知れば知りますほどに、「これからは、二度とそれを繰り返すまい」という、ブレない芯が生まれます。それにより生まれるのは、前よりもずっと高潔な心。

最後に一時間をかけて慈悲の瞑想をし、散会となりにけり。苦や楽を厳密に知る智慧を身につけたぶんだけ、真剣に念じることができたはず・・・ッ。

一つ、申し忘れたことがあります。もし想い出して慈悲の瞑想をされることがありますなら、ついでに、あの場で三日間を共有した一時的な仲間たちへも、「慈」や「悲」を念じてあげてください。あのう・・・、さらについでに余裕がありましたら、えっと・・・、私にも。


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感想文
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お正月からスッキリとして、新年を始めようと通し稽古に参加させて頂きました。

初日は自分では瞑想が進んでいないように感じましたが、気づかぬ所でいろいろ進行していたみたいで変な気分でした。 2日目は気合いを入れたけれど、空回り3日目はなにがなんだかよくわからなくなってしまいました。

毎回お稽古のたびに良かったな〜と思う事があったのですが、今回は途方もない感じと、座禅している時の落ち着いた心の状態と、日常の生活を送る上で出てくる状態とのギャップが、嫌に感じました。

日常も出来るだけ通し稽古のような生活を送れればと思うのですが、するとそのように出来ない時に、よりいっそうストレスを感じるようになっているし。うむ〜。

進むか戻るかしかないのを痛感致しました。

少しづつ今この瞬間にいる時間を増やしていけるように、日々精進したりしなかったり。


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感想文
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三日間のセッション大変お世話になりました。

初日、二日目前半と、足が痛くなったら体を動かし、顔が痒くなったらかいてしまったりと、集中力も散漫で、馴れないことを無理に心身に強いているせいか、眠気やら痛みやらで、体がのたうちまわり落ち着きがなく、時折、参禅したことを後悔するような始末で、、、

二日目の夕闇の頃でしたか、ご住職の足の痛みや体のかゆみに関する説法を聞いて、どんなに痛くとも足を崩さず、一切のこの身の動きを封じてみようと思い立ち、意識的に自分を追いつめて(ここで死んでもいい!というくらいの気合いをいれて…)坐禅にのぞんでみたところ、とても貴重な体験をすることができました。

はじめは、顔や頭皮にわいてくるむず痒さですとか、すすり上げたくなる鼻水です(アレルギー性鼻炎なのです)とか、そういったものにすぐに反応してしまいたくなる衝動を堪えて、反応せず、注意深く観察しながら、呼吸を整え、見送っていくと、本当に、かゆみが通過していくというのか、分散して、そうして消えていくのがわかるのです。

かゆくなったら、すかさずかきむしって治めるというのが当たり前だったのでこの実感は、ショックなことでした。

かゆみに対してかいてしまうことは、苦に対して苦をすりこむようなことだということがすこしだけ実感できました。

坐禅中の強烈な足の苦痛に関しては、実際にあまりにも痛いので、挫けて何度も立ち上がろうと思いましたが開き直って、その痛みにダイブするかのようにして、苦痛を味わい尽くしてみようと、、、(坐禅は我慢大会ではないとのことで、こうしたやり方が正しいのかどうかわかりませんが…)住職のレクチャーに従って、その痛みを冷静に観察し続けていると徐々にその痛みがこまかく細分化されていきそれまで強烈に痛かった箇所が微妙に移動した?!と感じとれた瞬間に、その箇所の痛みが、触れてもいないし、足を崩してもいないのに、消えたのです。

…と思っていたのも束の間、また違う部分が痛くなってきて…すべては無常、一切皆苦!これは自分の体じゃない!無我無我無我…!などと必死で念じていたら、またその痛みが消えて、楽になって、そうしてまた違う場所がすこししびれはじめて、、、その都度、苦、中性、楽とすぐにラベリングをして、呼吸を拠り所にしつつぴょんぴょんと一つに長く留まることなく飛び跳ねつつ、繰り返していたところ、、、

ある瞬間、集中力というのが一気に跳ね上がったような感覚があって、背筋がシャキーン!と伸び、体が軽くなり、足の痛みが全体的に緩やかになりました。痛みが遠のいてくようなかんじでしょうか。

その瞬間に、その時の自分の状態を見透かしているかのようなご住職の説法があって、それでまたさらに背筋がすーっと伸びて、座高が5センチくらいのびたように感じられた瞬間に喜悦感というのでしょうか、清涼感というのか、ぷはーっと溢れでてきて、思わず、な、なんなんだこれは…と鼻で笑ってしまいたくなるような心持ちになり、それでも言われたように、そこに留まらないように慢慢慢…喜悦喜悦喜悦…と念じ、冷静に受け流して、悠然と構えて、背筋をピーンとのばしていると、さらに頭の先から上へとひっぱられるような感覚がして、足の痛みは時より現れても、それまでよりもすぐに受け流せて、消えて行き、苦とも楽ともつかないな状態が長く保てるようになって、いつまでもこの状態で瞑想していられる!していたい!というような不思議な状態に陥り、なにやら時折、涙を流していたような気もします。

しばらくして鐘が鳴った後は、目を開けて瞑想を解くのが惜しいような、怖いような…(自転車の手放し運転をしながら、そのままじゃ止まれない…みたいな感じで)なので、ゆっくりとハンドルに手を戻してブレーキを徐々にかけていくかのようにして慎重に目を開けました。

そして不思議なことに、坐禅を解いた後、それまでとは違って足の痛みやしびれがほとんど体に遺っていなかったのです。

その後、休憩ですし、せっかくなので…と、足を伸ばしたり楽だと思っている姿勢に戻してダラダラしてしまったところ、また普通の状態に戻ってしまったのか、、、その日最後の坐禅では集中力を欠いてしまい、足が痛みが思うように受け流せなくてどうしようもなかったのですが、終了間際に、住職がお経を唱えている間だけ背筋がぐんぐんと伸びるかのようにシャキーンと集中力が蘇って、10秒くらいですが、前回のような状態になったのが不思議でした。お経の意味はわかりませんでしたが、お経というのは聞くだけで、なんらかの効用があるということも体を通して実感することができました。

三日間を通して、一日中私たちと真剣に向き合い、穏やかな所作振る舞い、心のこもった精進料理、その存在そのものでまるごとお手本を示し続けてくださりそればかりか坐禅中もじっと注意深く私たちを見守っていただけているのが目を閉じていてもよくわかり、もしそこに裏表があったならば、相当なストレスでしょうけど 淡々と流れるかのように、ほどよい距離感で、三日間お稽古していただきそうした裏表のないご住職のお姿に心打たれました。

ご一緒した参禅者同士も、名も知らず、言葉こそ交わしませんでしたが三日間、口を慎むことで、お互いの肉体的な存在感が薄まったのか、あの過密したスペースの中でもさほどそうしたストレスを感じることもなく、精神的な連帯感とともに、集中してセッションに取り組むことができたように思います。

このようなことを一般の心理カウンセリングですとか講習会等々…で企画したならば、それ相応な金額を請求されそうなものです。。。

そうした出し惜しみのない行為にお値段をつけないでいてくださるお陰でこちらもこうして無限に感謝できるというものです。本当にありがとうございました。

新たなまなざしで、日常生活、人間関係を改めて見ると、単にストレスの源としてしか認識していなかったような現象がお稽古ごとの課題のごとき対象に変わってしまいました。

その後もわかりやすく教えていただいた法を頼りにして日常生活の中でそれらを自ら活かしていくべく意識して様々な物事を手放していき、善い行いを習慣化できるよう精進している最中ですが、現実は、一進一退を繰り返しております。

坐禅するにしても、なにぶん自室ですと、いまいち集中力が高まらず、気が散ってしまうことも多くて、悪戦苦闘しております。

なんとかスタートラインに立てて、入り口を発見したという段階です。今後、かなりの大掃除になりそうです。

定期的に坐禅セッションにも参加させてもらい喝をいれてもらいつつ、いつか長期の合宿セッションの方にも参加してみたいです。

長々と煩悩まるだしの自分語りになってしまったので投稿するのをやめようと思ったのですが、これから参禅する方々にとってのなにかの参考になればと、恥をしのんで、投稿します。合掌。


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感想文
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お正月から早3ヶ月。坐禅セッションに加えて下さいましたお礼も遅くなり ましたが、本当に有難うございました。

3日間通じて苦しい気持ちがずっとずっとあり…もうイヤダ、放り出したい、と思うことも、ありました。

今も高いレベルの苦と怒は常に心からなくなることはなく、クルクルと惑い続ける私がいますが、以前よりもそれらの気持ちと上手く付き合えるようになってるのかな?と、思えます。どうしようもない時は…どうしようもないけれど、どうしようもないトコロにいってしまう頻度が少なくなってきているのはあのお稽古のことを思い出して、お部屋で、あるいは大好きな場所に家出して目を閉じ、穏やかに息をすることを習ったからだな。そう思います。

まだまだ丁寧に感じ、丁寧に行動するのが下手ッピです。だからこそ、またお稽古に参加できる機会がまたあればと、願っています。

それでは、失礼いたします。

追伸:ご住職の今後、刊行される本も楽しみにしております。


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感想文
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元日から三日間どうもありがとうございました。とても勉強になりました。

自分の中に内蔵されている不安要素を自覚するというのは大きかったです。 人間の感覚で一番大事なものが脳であると思われがちですが、そうじゃないと思いました。 また、慈悲の瞑想は好きです。今後ともよろしくお願いします。


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感想文
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こんにちは。まずは、有意義な時間を有難う御座いました。 それはもう普段とは異なる時間の感覚、身体の感覚を覚える程に、自分の意識に意識を向けた三日間でした。少々しんどかったですが、得るものは大きかったと思っています。

食事に関してですが、セッション以来食事に向き合う姿勢が大分変わりました。教わったことを意識しながら、を心掛けています。因に1日の食事の量は半分くらいになりました。

歩行禅も一つ、興味深い体験でした。普段の生活の中で移動に費やす時間は決して少なくないですし、そのような環境で意識できるようになれば、より身に付いていくのだろうとも思えます。一週間経った今は…まだですが。

セッションの意図するところとはズレがあるとは思いますが、僕の予想のしなかった収穫のお話を。趣味でバンドをしているのですが、このセッションで呼吸や発声に関する器官の動きを今までよりも細やかに感じることが出来るようになりました。特に、少し余計な力が入っている時に、その部分の苦として感じるので、すぐに修正を掛けられます。

そんな風に色々余韻が残っていて、楽しい日々です。また参加させて頂きたいと思っておりますので、その際は宜しくお願いいたします。


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感想文
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3日間のセッションありがとうございました。

無我ということを少し実感出来ました。喜悦感などは体験出来ませんでしたが、落ち着きの無い私にとって今の一瞬一瞬を意識するための集中力がついたことは大きな進歩です。ありがとうございました。

これからの実践にかかっていると思いますので、毎日毎日新たに意識して精進します。また、私の為にいただいたお言葉「人と比べて自分を苦しめている」という内容にはっとしました。自己啓発本を読み漁り、頭では理解していたのに本当には分かっていませんでした。

すぐに舞い上がったり落ち込んだりする性格からして無意識に比べていることが多いのだろうと納得しました。自分も疲れるし不幸だしとても醜い感じがするので是非直したいです。心の底から変えたいと思わないと心に落とし込めないものなのだと実感しました。大きなき気づきをありがとうございました。これからも、ご指導宜しくお願い致します。

お料理の美味しさにも感動しました。お雑煮のお汁を一口飲んだ時の驚き、微笑みたくなるような幸せな気持ちになりました。デザートも甘さがやさしくてほのかで素材の美味しさがよく味わえました。家では白砂糖をやめようと思います。ケーキや和菓子が大好きですが、白砂糖を使っていないものがあるのか???探してみます。野菜の味も一つづつよくわかりました。レシピ本が待ち遠しいです。料理苦手ですが、是非作りたいです。

月読寺に伺う度に自分の部屋の物を減らしたくなり、色々処分して来ました。今回は、読み返さないくせに取ってあるお便りや着ない洋服を処分しようと思います。物や人に囚われない自由は清々しいしいと憧れています。

最後になりましたが、未熟な私のような人の為にユーモアも入れて下さるのでうまく出来なくて凹んでも投げやりにならずに安心することができます。笑うことってとても心が軽くなりますね。素敵です。ありがとうございました。


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感想文
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3日間のお稽古に参禅させていただきまして有難うございました。福島での合宿に参加できませんでしたので今回はぜひに!と思い念願叶いましての参禅でした。想像よりも、ものすごく高い自分濃度に向き合うこととなり厳しい3日間となりましたが、頑張り通せたことは自信となりました。

初日は張り切りすぎたせいか夢うつつのような状態になってしまうことが多く、6セッション目には気持ちが悪い感覚が体中に起こり気分が悪くなって『どうしようー』とたじろいだり、足がミシミシ痛くて立禅に切り替えたりおりました。けれども2日目、3日目と続けてゆくうちに、意識がふわふわと考え事に浮遊しても呼吸、感覚、心の観察など今やるべきことに集中し直すことを何度も何度も何度も繰り返し行なううちに、痛みや、不快な感覚を「嫌だー」と思うとさらに痛みや不快感が増すこと、抵抗せずに見つめてみるとなくなるまでいかなくても軽減してゆく様を実感することができました。

家に帰って嫌な言葉をかけられた時も反射的に言い返さずにいられたこと、今までよりも怒りの煩悩がメラメラと燃え上がる勢いが1/3くらいに縮小したことが実感できて嬉しかったです。

また、日頃受けております整体療法で「身体の内側に意識を向けてください」と指導されますものの、いったい何をどのようにしたらよいのか分からずにクルクルと迷っていたのですが、この3日間のトレーニングでしたことをすればよいのだと分かりスッキリ致しました。強い感情が湧きあがってきて飲み込まれたとしても、今までのようにただ流されっぱなしになるのではなく、自分でもできることもあるのだと分かって心持ちも強くなりました。

他の参禅者の御方と会話することはありませんでしたが、それぞれ頑張っておられるエネルギーに支えられていたように思います。有難うございました。

コツコツと繰り返し繰り返し何度も何度も挑戦し続けることは、最も苦手で避け続けていたことでした。その苦手なことに集中して挑戦することで、ゾンビのようにただフワフワと存在しているのではなく、ちゃんとこの世に生きている時間が多かった貴重な3日間となりました。これからの日々の生活でも諦めずにコツコツと実践していこうという意欲も湧きました。有難うございました。

ご住職に振舞っていただきました精進料理は衝撃的な美味しさでございました。レシピ本の発刊を楽しみに食禅の自主トレにも励んで参ります。


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感想文
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「今年の正月は、心の垢でも落としてみるかー。紅白と箱根駅伝見られんのは心残りだなぁ」くらいの、のんきな気分で臨んだ正月坐禅セッション。ところが!

途中、どなたかの「足の痛みに耐えられない…」というご質問に、「痛くなっても念を込めれば組み替えてもOKだもん」と考えていた私の弱腰気分が打ち砕かれました。それから肚を据えて身体感覚にがっぷり取り組んだのですが、そこからが、大変、でした。涙は出るは、鼻水は出るは、震えるは、(〜以下略〜)。

さて、正月坐禅セッションから、一週間がたちました。経過報告をいたします。

十善戒、八斎戒(不非時食は、小食に置き換えていますけど…)を心掛け中。デスク作業中打ち合わせ中歩行中食事中、鼻先の呼吸や身体感覚に意識を向けるよう心掛け中。

口数、減っています。おしゃべり感情がわいてくると、心がざわわっとするので、念定捨。他人の行動や様子によって自分の心が波立つようなことも減りました。波立ちを察知したら、念定捨。

「ながら作業」ができなくなりました。これまで当たり前に、テレビつけたまま、本読んで、お菓子をつまんで、顔パックのついでにメール打って…たのですが。やめた、のではなく、「できない」んです。清清しいです。

「念定捨くしゃみ止め」をしています。ムズッとしたかしないかの時に念定捨!で止めます。まちがったトレーニング法でしょうか?

朝、ひと坐禅しています。心と身体感覚にちゃんと向き合う時間が、必要になりました。夜、慈悲の瞑想を試みていますが…、これは、まだ、ちょっと…不得手なのですが…念じます。安穏たらんことを。苦しみがなからんことを。


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